2009年10月18日
泥棒と悪口を言うの どちらが悪いか

お客様 池田様の作品
作ってはお店に持って来ていただいています
とてもきめが細やか ありがとうございます

ところで 致知のメルマガにこんな話が........
「泥棒と人の悪口を言う人 どちらが悪い」
もちろんどちらも悪い
でも どっちだろう?............

三浦綾子さんのお話
私の教会の牧師は「悪口のほうが罪深い」といわれました。
大事にしていたものや高価なものを取られても、
生活を根底から覆されるような被害でない限り、いつかは忘れます。
少しは傷つくかもしれませんが、泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。
だけど、人に悪口をいわれて死んだ老人の話や少年少女の話は時折、聞きます。
「うちのおばあさんたら、食いしんぼうで、 あんな年をしてても3杯も食べるのよ」
と陰でいった嫁の悪口に憤慨し、その後一切、食物を拒否して死んだ、という話があります。
それと、精神薄弱児の3割は妊婦が3か月以内に
強烈なショックを受けたときに生まれると聞いたことがありますが、
ある妻は小姑に夫の独身時代の素行を聞き、さらに現在愛人のいることを知らされた。
それは幸せいっぱいの兄嫁への嫉妬から、そういうことをいったのです。
この小姑の話に、ちょうど妊娠したばかりの妻は大きなショックを受け、
生まれたのは精神薄弱児だったそうです。
恐ろしい話です。
私たちの何気なくいう悪口は人を死に追いやり、
生まれてくる子を精神薄弱児にする力がある。
泥棒のような単純な罰とは違うんです。
それなのに、私たちはいとも楽しげに人の悪口をいい、また聞いています。
そしてああきょうは楽しかった、と帰っていく。
人の悪口が楽しい。
これが人間の悲しい性です。
もし自分が悪口をいわれたら夜も眠れないくらい、
怒ったり、くやしがったり、泣いたりする。
自分の陰口をきいた人を憎み、
顔を合わせても口もきかなくなるのではないでしょうか。
自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が立つはずです。
そのはずなのに、それほど人を傷つけるうわさ話をいとも楽しげに語る。
私たちは自分を罪人だとは思っていない。罪深いなどと考えたりしない。
「私は、人さまに指一本さされることもしていません」
私たちはたいていそう思っています。
それは私たちは常に、2つの尺度を持っているからです。
「人のすることは大変悪い」「自分のすることはそう悪くない」
自分の過失を咎(とが)める尺度と、
自分以外の人の過失を咎める尺度とはまったく違うのです。
1つの例えをいいますとね、
ある人の隣家の妻が生命保険のセールスマンと浮気をした。
彼女は 「いやらしい。さかりのついた猫みたい」
と眉をひそめ、その隣家の夫に同情した。
何年か後に彼女もまた他の男と通じてしまった。 だが彼女はいった。
「私、生まれて初めて、素晴らしい恋愛をしたの。 恋愛って美しいものねえ」
私たちはこの人を笑うことはできません。
私たちは自分の罪がわからないということでは、
この人とまったく同じだと思います。

塾長の話によく三浦綾子さんの話がよくでてくる
「一流の人は決して弁解しない」
一つの原理原則を一生つきとおす
と十分に一流の人になれると教えられた
今回の泥棒と悪口
心に突き刺さる
言葉の暴力、人間の弱さ
少しでも人を傷つけないように努力しよう
